第四回 鍋島の柳生者
あらすじ
◯孫六父娘の証言で柳生十兵衛と霞の多三郎の決闘の様子が明らかになり、吟味役人樫原の調製した次第書が奉行に提出され、家老久能市右衛門尉の手許に届けられた。数日を経て、久能より奉行所に下った下知では、孫六父娘は乱心のうえ非理の申し立てをしたので断罪、樫原は役目怠慢の廉で国外追放、他の係役人は閉門ということであった。実はこの下知は藩主鍋島勝茂の長子で、肥前小城七万四千石の藩主である鍋島元茂からの密書に暗示されていた内容により決定されていたのである。
登場人物
◯孫六
百姓。柳生十兵衛と霞の多三郎の決闘を目撃し、その様子を役人に申し述べた。殺された愛犬五郎の双眼に凝視められて、腰を抜かした。口封じのため鍋島元茂の指示により処刑される。
◯樫原
吟味役人の長。孫六父娘の証言の次第を奉行に提出したが、家老久能市右衛門尉の命により国外追放の処分が下る。その理不尽な命に服さず、理由を糺したので、詰腹を切らされた。
「こりゃ百姓。」
◯柳生十兵衛
柞の梢から備州長船住兼光在銘の短刀を多三郎に向けて投げつけた後、枝から枝へ飛び移った。
◯霞の多三郎
十兵衛を追い、柞の枝を次々と薙ぎ落した。
◯ミネ
十八歳。日頃から気丈な娘と近在でも評判の女。道の向こうから父と同じ光景を見ていた。梢から投げられた短刀が道路に落ちていたのを拾っておいた。後日、断罪の憂き目を見る。
◯久能市右衛門尉
鍋島三十五万七千石の家老。鍋島元茂からの書状を受け、理不尽な裁定を下した。樫原の新妻は、市右衛門尉の家来三原権之丞の娘で、媒酌人は市右衛門尉自身がした。関ヶ原役の時、勝茂が徳川勢に弓を引かんとした折に、黒田長政の陣中に赴き、声涙とともに尽忠の志を披瀝して家康への取りなしを願った。
「ままよ、次第によっては、この皺腹一つ掻切れば済む事じゃ。」
◯黒覆面の武士
深更に久能市右衛門尉の寝所を秘かに訪れて、鍋島元茂からの書状を手渡した。その鷹揚な物言いからして鍋島藩の家中の者とは考えられないらしい。おそらくは柳生十兵衛三厳か。
◯鍋島元茂
登場はしていない。家老の久能宛に書状を書き、今回の事件の裁定内容を暗示した。鍋島勝茂の長子だが、二男忠直の母岡部氏が、徳川家康の養女として勝茂に入輿したため、佐賀藩三十五万七千石の後を継がず小城一国の小藩に斂まった。資性聡明で兵法は柳生但馬守宗矩の宗伝を継いだ達人である。柳生流の実体が何であるかを知っている。
挿話
◯鍋島勝茂の父直茂の出生と活躍、龍造寺家の興亡の話。
贅言
◯十兵衛は編笠を放り投げたはずだが、その編笠は墜ちて来たり、柞の梢に引懸ったり、枝から枝へ移り飛んだりと忙しい。
◯忍者二人の対決は、「がやさ…がやさ…」という呻きとも、叫びともつかぬ声が聞こえた後、河に何かが墜ちる大きな水音がして了った。何方が声を発したのか、何が河に墜ちたのかは分からない。
◯投げられた短刀には『おだまき』の紋が打ってあるとの記載があるが、その意味するところは分からない。
◯街道で斬られていた武士の首を掻いた人物は不明だが、或いは鍋島元茂の手の者か。
◯孫六父娘の証言で柳生十兵衛と霞の多三郎の決闘の様子が明らかになり、吟味役人樫原の調製した次第書が奉行に提出され、家老久能市右衛門尉の手許に届けられた。数日を経て、久能より奉行所に下った下知では、孫六父娘は乱心のうえ非理の申し立てをしたので断罪、樫原は役目怠慢の廉で国外追放、他の係役人は閉門ということであった。実はこの下知は藩主鍋島勝茂の長子で、肥前小城七万四千石の藩主である鍋島元茂からの密書に暗示されていた内容により決定されていたのである。
登場人物
◯孫六
百姓。柳生十兵衛と霞の多三郎の決闘を目撃し、その様子を役人に申し述べた。殺された愛犬五郎の双眼に凝視められて、腰を抜かした。口封じのため鍋島元茂の指示により処刑される。
◯樫原
吟味役人の長。孫六父娘の証言の次第を奉行に提出したが、家老久能市右衛門尉の命により国外追放の処分が下る。その理不尽な命に服さず、理由を糺したので、詰腹を切らされた。
「こりゃ百姓。」
◯柳生十兵衛
柞の梢から備州長船住兼光在銘の短刀を多三郎に向けて投げつけた後、枝から枝へ飛び移った。
◯霞の多三郎
十兵衛を追い、柞の枝を次々と薙ぎ落した。
◯ミネ
十八歳。日頃から気丈な娘と近在でも評判の女。道の向こうから父と同じ光景を見ていた。梢から投げられた短刀が道路に落ちていたのを拾っておいた。後日、断罪の憂き目を見る。
◯久能市右衛門尉
鍋島三十五万七千石の家老。鍋島元茂からの書状を受け、理不尽な裁定を下した。樫原の新妻は、市右衛門尉の家来三原権之丞の娘で、媒酌人は市右衛門尉自身がした。関ヶ原役の時、勝茂が徳川勢に弓を引かんとした折に、黒田長政の陣中に赴き、声涙とともに尽忠の志を披瀝して家康への取りなしを願った。
「ままよ、次第によっては、この皺腹一つ掻切れば済む事じゃ。」
◯黒覆面の武士
深更に久能市右衛門尉の寝所を秘かに訪れて、鍋島元茂からの書状を手渡した。その鷹揚な物言いからして鍋島藩の家中の者とは考えられないらしい。おそらくは柳生十兵衛三厳か。
◯鍋島元茂
登場はしていない。家老の久能宛に書状を書き、今回の事件の裁定内容を暗示した。鍋島勝茂の長子だが、二男忠直の母岡部氏が、徳川家康の養女として勝茂に入輿したため、佐賀藩三十五万七千石の後を継がず小城一国の小藩に斂まった。資性聡明で兵法は柳生但馬守宗矩の宗伝を継いだ達人である。柳生流の実体が何であるかを知っている。
挿話
◯鍋島勝茂の父直茂の出生と活躍、龍造寺家の興亡の話。
贅言
◯十兵衛は編笠を放り投げたはずだが、その編笠は墜ちて来たり、柞の梢に引懸ったり、枝から枝へ移り飛んだりと忙しい。
◯忍者二人の対決は、「がやさ…がやさ…」という呻きとも、叫びともつかぬ声が聞こえた後、河に何かが墜ちる大きな水音がして了った。何方が声を発したのか、何が河に墜ちたのかは分からない。
◯投げられた短刀には『おだまき』の紋が打ってあるとの記載があるが、その意味するところは分からない。
◯街道で斬られていた武士の首を掻いた人物は不明だが、或いは鍋島元茂の手の者か。
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